地衣類ハコネサルオガセおよび共生藻の全ゲノム解明と共生に関わる遺伝子の特定

【研究概要】

地衣類は道路脇の塀や街路樹の幹など街中でも普通に見ることができます。コケのような単一の生物に見えますが実は菌類と藻類が互いに作用しバランスを保つことで維持されている共生生物です。
 本研究では地衣類の一種である、ハコネサルオガセ(Usnea hakonensis)の野生株、実験室で単離培養した共生菌と共生藻、およびそれらから再合成した共生体(再合成地衣体)を用いて、菌類と藻類の共生に関わる遺伝的背景を明らかにすることを目的に研究を行いました。

  1. この研究では始めに、地衣類のハコネサルオガセを構成する共生菌と共生藻のゲノム配列および全遺伝子領域を決定しました。これにより、共生菌と共生藻の全遺伝子の発現量解析が可能となりました。
  2. 次に共生時に特異的に働いている遺伝子を調べるため単独で培養した共生菌・共生藻の遺伝子発現量を、それぞれ2つの共生状態(再合成地衣体、野外株地衣体)にある共生菌・共生藻の遺伝子発現量と比較しました。二つの共生状態で共通して発現量が上がっている遺伝子は、より共生に必須な働きを担っている可能性が高い遺伝子(共生関連遺伝子)であると考えられ、上記比較により、共生菌から305、共生藻から203の共生関連遺伝子を特定しました。
  3. さらに共生菌と共生藻それぞれの共生関連遺伝子の機能を推定しました。その結果、これら共生関連遺伝子には、共生時に (1) 共生菌と共生藻が接している細胞壁構造をともに変化させ、物質輸送に適した構造にする機能と、(2) 共生菌・共生藻間の栄養輸送に関わる機能があると推定されました。これら2つの役割は共生菌と共生藻間のエネルギー生産と栄養分配に関わっており、それは地衣類における共生機能の根幹をなすものと考えられます。

 地衣類は菌類と藻類の栄養授受を通して共生関係が維持されることから、今回明らかにした栄養授受に関与する遺伝子は菌類と藻類という異なる生物が一つの共生体として生活するのに根幹的な働きを担うと考えられます。また今回の研究で確立した「再合成地衣体を用いた地衣類の全遺伝子発現を調べる実験系」は、今後の地衣類研究の発展のみならず、生物における共生現象解明の上でも大きく貢献すると期待されます。


【研究の背景】

地衣類は極域、砂漠などを含め地球上の広範な環境に生息しており、身近では道路脇の塀や街路樹の幹などで見ることができます。コケのような単一の生物に見えますが実は菌類と藻類が互いに作用しバランスを保つことで維持されている共生生物です。地衣類は共生している藻類から炭素栄養分を得ており、独立した栄養系を確立しています。そのため、寄生生物のように他から栄養を奪うことはありません。また菌類の菌糸によって構築される共生体(地衣体)は非常に乾燥に強く、僅かな水分でも生存できます。そのため地衣類は最も成功した共生生物の一つと言われています。
一方、共生生物としての機能を維持するためにはそれぞれの共生パートナー間のバランスや光、温度、湿度などの環境因子が複雑に関係するため、地衣類を実験室内において野外で見られるような共生体の状態にして培養することは非常に困難でした。そのため地衣類を研究するために適した培養可能な地衣類の実験系が確立されず、地衣類の共生パートナーである菌類と藻類が単独状態から共生状態へとその生活様式を大きく変化させるための遺伝的背景の研究がこれまでほとんど進んでいませんでした。
地衣体は菌糸で全体が構成され、藻類が内包されています。地衣体内では共生藻にとって光合成に適した環境が整備され、共生菌と共生藻の細胞の境界面では共生藻から共生菌へは光合成産物が、共生菌から共生藻へはリンや窒素などの無機栄養分が輸送されることが知られていました。しかし、具体的にどのような遺伝子がこのような共生関係の成立に関与しているかはほとんど分かっていませんでした。

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【研究の内容】

本研究では地衣類、ハコネサルオガセの単独培養した共生菌と共生藻、再合成地衣体、および野生株を用いて、菌類と藻類の共生に関わる遺伝的背景を明らかにすることを目的に研究を行いました。

  1. ハコネサルオガセを構成する菌類および藻類の全ゲノム配列の解明
      生物を研究する上で、全遺伝子の解析をするためには全ゲノムの決定が不可欠となります。また、どこにどのような遺伝子が存在するかなどの情報を含め全ゲノムを解明すると、その後の研究が飛躍的に発展します。本研究ではハコネサルオガセを地衣類研究のモデル系とするため、始めにハコネサルオガセを構成する共生菌の全ゲノム配列を決定しました。次いで全転写配列を決定する方法(RNA-seq)を用いて共生菌ゲノム中の全遺伝子領域を決定しました。また、私たちの以前の研究で決定したハコネサルオガセを構成する共生藻の全ゲノム配列でも同様に全遺伝子領域を決定しました。これらにより、ハコネサルオガセを構成する共生菌および共生藻の全ゲノム配列の解明ができました。
  2. 単独培養と共生状態での全遺伝子の発現量の比較
      地衣類では、共生菌と共生藻を単離して、それぞれ単独で培養することは比較的容易です。しかし、単独培養した共生菌と共生藻を混合培養することで地衣体を再合成させることはわずかな成功例しかありませんでした。本研究ではこれまで困難とされていた培養による再合成地衣体の形成を安定して成功させることに成功しました。そして単独で培養した菌・藻の遺伝子発現量と、共生状態(再合成地衣体)にある菌・藻の遺伝子発現量を比較しました。これにより共生状態で発現量が多い遺伝子を抽出しました。実験室で地衣体を再現した場合、単独状態と同一の光・温度条件下で培養することで共生に影響を与える環境因子をコントロールできることが利点です。しかし、再現した地衣体は野外で見られる地衣体と類似の特徴を持つものの、大きさも2-3 mmと小さく、完全に同一な形態までは成長しません。そこで野外から採取した株での地衣体における遺伝子発現量も調べ、同様に単独培養での遺伝子発現量と比較しました。再合成した地衣体と野生下の地衣体、これらの二つの共生状態で共通して発現量が上がっている遺伝子は、より共生との関連が深い共生関連遺伝子であると考えられます。そして実際に共生菌から305、共生藻から203の共生関連遺伝子を特定することができました。  
  3. 地衣類の共生における共生関連遺伝子の機能
      ハコネサルオガセにおける共生菌と共生藻それぞれの共生関連遺伝子の機能を既知の遺伝子との相同性から推定しました。共生時に共生菌と共生藻が接する部位では、菌糸と藻細胞の接する境界が、共生菌が分泌した膜によって覆われ、細胞間で物質輸送がしやすいように両者の細胞壁の構造を変化させています。実際に共生関連遺伝子には、膜の主成分であるハイドロフォビン遺伝子注釈1)や、それぞれの細胞壁を分解するグリコシダーゼ遺伝子注釈2)など、菌と藻の境界のお互いの細胞壁の構造の変化や境界を覆う膜成分と推測される遺伝子が複数含まれていました。このことから共生関連遺伝子は共生菌と共生藻の間で物質輸送がしやすいように、お互いが接する場の構造を変化させる機能を担っていると推測されました。また、共生時に共生菌からは光合成の材料や生存に必要な物質が共生藻へ、共生藻からは光合成産物が共生菌へ輸送されていると考えられています。実際に共生藻では光合成関連遺伝子注釈3)が共生関連遺伝子に含まれ、また光合成産物の炭化水素化合物を輸送する共生菌のリビトールトランスポーター遺伝子注釈4)も共生関連遺伝子に含まれていました。これらの遺伝子は共生による光合成の活性化と共生藻から共生菌への光合成産物の輸送の働きを担っていると推測されました。さらに共生関連遺伝子には、リン酸化合物と窒素化合物の輸送に関わる遺伝子注釈5)が複数含まれており、これらは共生菌から共生藻へのリン酸化合物と窒素化合物の輸送の働きを担っていると推測されました。このような栄養授受を通して共生関係は維持されていることから、栄養授受に関与する遺伝子の発現量増加は地衣類の共生において最も重要であると考えられます。またこれらの働きとは別に、光依存的に炭化水素化合物の代謝活動を制御するFTR遺伝子注釈6)や二酸化炭素の輸送や固定に関わる炭酸脱水酵素遺伝子注釈7)が共生関連遺伝子に含まれることから、地衣体内の光条件や二酸化炭素濃度が共生時の藻類の代謝活動を制御している可能性も初めて示すことができました。

本研究では地衣類のハコネサルオガセを構成する共生菌と共生藻の全ゲノムを解明することにより、初めて全遺伝子を用いた地衣類の遺伝子発現を調べることを可能としました。また、野生下の地衣体に比べてシンプルな地衣類の再合成系を用いることで、単独状態から共生状態へとその生活様式を大きく変化させる際の遺伝子発現変動を、より詳細に調べることができました。本研究で確立した「再合成地衣体を用いた地衣類の全遺伝子発現を調べる実験系」は、地衣類の共生のメカニズムを研究するためのモデルになると考えられ、今後の地衣類研究の発展のみならず、生物における共生現象解明の上でも大きく貢献すると期待されます。

  • 注釈1) hydrophobin
  • 注釈2) glycoside hydrolase
  • 注釈3) D1 reaction centre protein in photosystem II,
  • 注釈4) AmLAT2
  • 注釈5) MFS phosphate transporter, acid phosphatase, transmembrane ATPase, uridylyltransferase, glutamine amidotransferase
  • 注釈6) ferredoxin:thioredoxin reductase
  • 注釈7) carbonic anhydrase


【論文情報】
  • 著者:Kono M, Kon Y, Ohmura Y, Satta Y, and Terai Y.
  • 論文タイトル:In vitro resynthesis of lichenization reveals the genetic background of symbiosis-specific fungal-algal interaction in Usnea hakonensis.
  • 掲載誌:BMC Genomics. 
    DOI: https://doi.org/10.1186/s12864-020-07086-9


【著者】
  • 河野美恵子(総合研究大学院大学・先導科学研究科: スウェーデン自然史博物館・研究員)
  • 近 芳明(東京都立一橋高等学校)
  • 大村 嘉人(国立科学博物館・植物研究部・研究主幹)
  • 颯田葉子(総合研究大学院大学・先導科学研究科・教授)
  • 寺井洋平(総合研究大学院大学・先導科学研究科・助教)


【連絡先】

寺井洋平(総合研究大学院大学・先導科学研究科・助教)
電子メール:terai_yohei@soken.ac.jp

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