胃がんのリスク因子の集団遺伝学

【大まかな概要】

・  日本人集団は近隣の東アジア集団と比べ、胃がんの発症と関連する遺伝子配列をもっている人が多い。

・  この遺伝子配列は縄文人集団では高頻度で維持され、その一部が日本人集団に受け継がれたということが明らかになった。

・  胃がんの発症と関連する遺伝子配列は、日本人集団では高頻度で維持されているが、多くの集団では対立遺伝子に対する自然選択により低頻度となっている。

・ 自然選択の働き方は、人類が世界中に拡散するまでの短期間の間に頻繁に変化するということが明らかになった。

【研究の概要と成果】
  • 胃がんの発症と関連するリスクアレル (※1) (PSCA遺伝子座のSNP(一塩基多型) (※2)である、rs2249008のTアレル)は近隣の東アジア集団と比較して日本人集団での頻度が高いことが知られています。これは、①同じ遺伝子座の非リスクアレルを持つ配列に対する正の自然選択(※3)のはたらきが日本人集団では弱くなったとことおよび②現生日本人集団の祖先の一つである縄文人にリスクアレルが高頻度で存在していたことという二つの要因により説明できることを示しました。
  • 東アジアの現生人類が日本、中国、その他の東アジア集団とそれぞれに分岐したのちに非リスクアレルに対する自然選択の働き方に違いが現れたことを示しました。
【研究概要】

 胃がんの発症に関連する遺伝的変異は多く知られていますが、その中でもPSCA遺伝子座のrs2249008というT/CタイプのSNP(一塩基多型)は、びまん性胃がんの発症率と関連することが知られています。日本人集団では胃がんの発症率を上げるリスクタイプ(Tアレル)が他の東アジア集団と比較して特に高く、他のSNPと比較しても非常に大きな頻度差があることがわかりました。本研究では、この頻度差を生み出している要因として、Tアレル(リスクアレル)の対立遺伝子であるCアレル(非リスクアレル)に働く正の自然選択が日本人集団で弱まっていることを明らかにしました。興味深いことに、日本での自然選択の働き方は、中国・その他の東アジア集団だけでなく、ヨーロッパやアフリカとも異なっており、現生人類が分集団に分岐したのち、それぞれの集団特異的な自然選択を獲得した可能性を示しました。また、日本人集団でのTアレルの高頻度化には、Cアレルを持つ配列に対して自然選択が働いたことだけではなく、第2の要因として日本人集団の成り立ちの特性も考慮しなければならないことを示しました。

【研究の背景】

 胃がんは発症率や死亡率が高いがんとされ、東アジアでは発症率が特に高いことが知られています。胃がんの発症には様々な原因がありますが、先行研究によって、胃がんの疾患リスクと強く関連するSNP(rs2294008)が報告されています。この胃がんの発症リスクを上げる塩基(以下、リスクアレル)の頻度は、世界的に見ても日本人集団で特に高く、遺伝的に近縁な東アジアの人類集団と比較しても大きな頻度差があることがわかりました(※4)。胃がんのリスクアレルを持つことは、その個体が胃がんの発症リスクを抱えるという点で、個体の生存に対して生物学的なデメリットをもたらす可能性があります。そうでありながら、日本人集団ではなぜ胃がんのリスクアレル頻度が高くなったのでしょうか。これまでその理由を説明した研究はありませんでした。そこで本研究では、日本人の集団的な歴史を考慮しながら、どのようなプロセスで、日本人集団で胃がんのリスクアレルの頻度がここまで高くなったのかについて、説明を試みました。

【研究の内容】

 rs2294008に位置するびまん性胃がんのリスクアレル(Tアレル)の日本人集団での頻度は63%である一方、中国人集団では25%、台湾では26%、韓国では50%です(図1)。この日本人集団と他集団との頻度差がゲノム全体のSNP(一塩基多型)の中で特異的なものかどうかを日本人集団と中国人集団の比較で調べたところ、全ゲノム1465万SNP中頻度差の大きい順に32位でした。さらに、上位50位中の49個のSNPがrs2294008のリスクアレルの近傍に位置すること、しかも、リスクアレルと強い連鎖不平衡(リスクアレルとの組み合わせが多い)の関係にあることがわかりました。つまり、rs2294008のリスクアレルは、その周辺にあるSNPのアレルと共に大きなアレル頻度差を持ち、rs2294008の周辺領域全体でリスクアレルや周辺のアレルが高頻度に保たれている可能性があります。近縁な集団に対して高い頻度差を持つ大きな領域が存在することは、この領域に正の自然選択が働いている可能性を示唆しています。そこで、次にどのアレル・どの集団に自然選択が働いているかを調べました。

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この領域に自然選択が働いた可能性を検討したところ、自然選択が働いた痕跡が中国人集団で見つかりました。その自然選択の標的は、リスクアレルであるTアレルの対立遺伝子である非リスクアレルのCアレルでした。しかもCアレルとその周辺領域の配列はさらに二つのサブハプロタイプ(※5)(CAサブハプロタイプとAGサブハプロタイプ)に分類されることがわかりました。中国人集団ではこの二つのハプロタイプにともに正の自然選択が同様に働いている一方で、日本人集団ではCAサブハプロタイプのみに正の自然選択が検出されました(図2)。CAサブハプロタイプとAGサブハプロタイプの分岐年代は、24万年前と推定され、この二つのサブハプロタイプは現生人類がアフリカを出る以前に既に存在していたことが分かりました。同時に、中国人集団での自然選択が働き始めた時期を推定したところ、中国人集団と日本人集団の分岐よりも古く、どちらのサブハプロタイプにも、東アジア集団の共通祖先では既に自然選択が働いていたことがわかりました。つまり、2つのサブハプロタイプは、24万年前に生まれ、自然選択の標的になり、東アジア集団の共通祖先では、どちらのサブハプロタイプにも自然選択が働いていました。現生の中国人集団の系統ではそのままどちらのサブハプロタイプにも自然選択が働き続けましたが、日本人集団の系統では、AGサブハプロタイプに働く自然選択が検出できない程度に弱まっていたことから、共通祖先のものから自然選択の標的が変化したと考えられます(図2)。以上のことは、遺伝的に近縁な集団間であっても、自然選択の標的や強さは短期間で容易に変化すること、2集団間で自然選択をもたらす要因(選択圧)が変化したことを示唆しています。

さらにこのような、集団特異的な自然選択や、各サブハプロタイプに対する自然選択の働き方の変化が他の集団でも観察されるかどうかを、東アジア・南アジア・ヨーロッパ・アフリカの各集団で調べたところ、確かに各集団で集団特異的な自然選択のオン・オフを検出できました(図2)。しかも、それぞれの集団で自然選択の働き方が異なるにも関わらず、自然選択が働き始めた時期は、どの集団でも、中国や日本で推定した年代とほぼ同じ時期と推定されました。このことは、人類集団間では環境が異なるにも関わらず、様々な集団でほぼ同時期に自然選択が働いていたことを示唆しています。本研究では、個々の集団に働いている自然選択の要因の特定には至りませんでしたが、この自然選択が局所的に働いているものではないことが示唆されます。

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日本人集団では非リスクアレルへの自然選択が働いているにもかかわらず、他の東アジア集団のように高頻度には至らず、リスクアレルの頻度が高いままでした。この原因は、日本人集団に特有な集団の歴史(集団動態)にあるのではないかと考えました。日本人集団の動態モデルとして有名なものに、日本人集団は土着の縄文系統の集団と、大陸由来の渡来系弥生集団の二つの祖先を持つという「二重構造モデル」(※6)があります。そこで、このモデルに基づき、遺伝的に異なるこの二つの集団の交雑によって、リスクアレルの頻度が現在の日本人集団のような高頻度に至るかどうか、シミュレーションによって検討しました。すると、縄文系統の集団でリスクアレルが非常に高い頻度である場合には、交雑によってリスクアレルが現在の頻度に至る可能性があることがわかりました。更に、3個体の縄文系統のDNA配列を用いて、彼らのハプロタイプ配列と現生の日本人集団のハプロタイプ配列の関係を調べました。その結果、まず、縄文系統の3個体は全てリスクアレルを持っていたこと、またその配列が現生の日本人集団の配列と最も類似していることがわかりました(補足資料)。以上のことは、現生の日本人集団が持つリスクアレルを持ったハプロタイプの一部は、縄文系統のDNA配列から派生した可能性があることを示しています。また、このことは、縄文系統の集団での胃がんの発症率や死亡率については不明ながら、縄文系統の集団が遺伝子プールに、現生人類にとっての胃がんのリスクアレルを高頻度で持っていたことも示唆しています。

 

以上のことから、胃がんのリスクアレルが日本人集団で高頻度に至ったのには、「日本人系統では正の自然選択の標的が変化したことによって、胃がんの非リスクアレルに働く自然選択が一部弱まったこと」及び、「現生の日本人集団が遺伝的多様性を受け継いだ縄文系統の人類集団がリスクアレルを高頻度で持っていたこと」の二つの要因があると結論づけました。本研究の結果は、ヒトが様々な環境に適応していく過程で、集団に働く自然選択の様相が動的に変化していくことを示しており、このようなプロセスが、種内に遺伝的な多様性を生み出す一例となったこと、また、日本人集団の独特な集団の歴史が現生の日本人集団の遺伝的な特徴を形成したことを示唆しています。

【今後の展望】

 本研究では、日本人集団に近縁な集団として中国人集団を解析しましたが、日本人集団の成り立ちを考慮した上でリスクアレルの頻度の変遷をさらに詳しく調べるには、さらに近縁な集団である韓国人集団を含めた検討を行う必要があります。

 また、本研究では、(日本や中国を除いた)東アジア・南アジア・ヨーロッパ・アフリカをメタ集団として扱って解析を行いました。今後は、それぞれを構成する分集団についての解析を行い、自然選択の働き方の変化のプロセスと、それぞれの集団で自然選択が働き始めた時間の推定、また、その要因についても検討していきたいと考えています。更に、日本人集団でのCAサブハプロタイプの選択圧についても検討を行いたいと思います。

【用語の解説】

(※1)リスクアレル/アレル:アレルはある座位に突然変異によって生じた、2つ以上の遺伝的な多型(バリエーション)を示し、対立遺伝子とも呼ばれる。リスクアレルは、疾患の発症などと強く関連しているアレルを示す。本研究では、rs2294008と呼ばれる座位にT・Cアレルが遺伝的多型として観察されるが、Tアレルがびまん性胃がんの発症と関連するリスクアレル、CアレルがTアレルに対して胃がんの発症と関連性の低い非リスクアレルに該当する。

(※2)SNP(一塩基多型):突然変異によって生じる遺伝的な多型のうち、塩基配列の中で1塩基座位での多型を示すものを示す。

(※3)正の自然選択/自然選択:ある環境に対して、特定の遺伝子型を持つ個体が生存しやすく、より多くの子孫を残しやすくなる現象を示す。正の自然選択が働く環境下では、集団の中で自然選択の標的となる遺伝子型を持った個体が平均的により多くの子孫を残せるため、世代が進むごとに、集団中には自然選択の標的となる遺伝子型の頻度が増加する。本研究では、日本人集団でrs2294008のTアレルの頻度が高く、他の東アジア集団とは大きな頻度差を持っていため、日本人集団及び東アジア集団を対象として、TアレルまたはCアレルが自然選択の標的となっている可能性について検討した。

(※4)アレルの頻度差:遺伝的に近縁な集団では、集団の歴史をより長く共有していることから、アレルが中立下にある場合は、近縁集団間でアレル頻度差は小さいことが期待される。一方で大きな頻度差は集団の分岐時間が長いことを示している。しかし、一方の集団に対して正の自然選択が働いた場合や、集団サイズの縮小、遺伝的に遠い集団と交雑するなどの特殊な要因で、アレルの頻度差が大きくなることがある。そこで、本研究では、TアレルまたはCアレルが自然選択の標的となっている可能性について検討を行っている。

(※5)ハプロタイプ/サブハプロタイプ:アレル間の組み合わせを示す。各座位でのアレル間の組み合わせは、生殖細胞での組み換えや複数回の突然変異が起こらない限り大きく変わることはなく、新たに起こった突然変異がハプロタイプ間で共有されることも稀なので、アレルどうしの組み合わせを一単位として扱うことができる。本研究では、rs2294008の各アレル(T/C)を持つ配列のうち、特定のアレルの組み合わせをハプロタイプの下位グループ(サブハプロタイプ)として定義し、自然選択の標的となっているかどうかや、ハプロタイプ間の関係を調べている。

(※6)二重構造モデル:遺伝的な特徴が大きく異なる2集団が交雑することによって、現生の日本人集団の遺伝的特徴や生理的な特徴が形成されたと考える集団動態モデルの一つである(Hanihara(1991))。この2集団とは、?16000年前から日本に暮していた縄文系統の人類集団及び、2500年?3000年前に大陸から鉄器や稲作技術と共に移住してきた渡来系弥生人集団と定義される。このモデルは現在も、形態学や遺伝学などの、数多くの先行研究から支持されている。

【引用文献】
  1. Bae, J.S.; Cheong, H.S.; Kim, J.-O.; Lee, S.O.; Kim, E.-M.; Lee, H.W.; Kim, S.; Kim, J.-W.; Cui, T.; Inoue, I.; et al. Identification of SNP markers for common CNV regions and association analysis of risk of subarachnoid aneurysmal hemorrhage in Japanese population. Biochem. Biophys. Res. Commun. 2008, 373, 593-596.
  2. Chen, C.-H.; Yang, J.-H.; Chiang, C.W.; Hsiung, C.-N.; Wu, P.-E.; Chang, L.-C.; Chu, H.-W.; Chang, J.; Song, I.-W.; Yang, S.-L.; et al. Population structure of Han Chinese in the modern Taiwanese population based on 10,000 participants in the Taiwan Biobank project. Hum. Mol. Genet. 2016, 25, 5321-5331.
  3. The 1000 Genomes Project Consortium. A global reference for human genetic variation. Nature 2015, 526, 68-74.
  4. Hanihara, K. Dual Structure Model for the Population History of the Japanese. Japan Rev. 1991, 2, 1-33.

【論文情報】

Evolutionary History of the Risk of SNPs for Diffuse-Type Gastric Cancer

in the Japanese Population

(日本人集団におけるびまん性胃がんリスクアレルの進化的歴史)

Published: 10 July 2020, DOI: 10.3390/genes11070775

【著者】

岩﨑理紗(総合研究大学院大学・先導科学研究科・学生)

石谷孔司(産業技術総合研究所・生物プロセス研究部門・研究員)

神澤秀明(国立科学博物館・人類研究部・研究員)

河合洋介(国立国際医療研究センター研究所・ゲノム医科学プロジェクト・上級研究員)

五條堀淳(総合研究大学院大学・先導科学研究科・講師)

颯田葉子(総合研究大学院大学・先導科学研究科・教授)

【連絡先】

国立大学法人 総合研究大学院大学

総合企画課 広報社会連携係

TEL 046-858-1584FAX 046-858-1648E-mail 広報社会連携係:kouhou1@ml.soken.ac.jp

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